ヴィソーツキイのソ連で最初の詩集について
今日はウラジーミル・セミョーノヴィチ・ヴィソーツキイの生誕70周年となる日です。
何か気の利いた記事でも、と思ったのですが、貧乏暇なし、ネタを探す時間がありませんでした。
そこで今日は、以前別の項目で簡単に紹介していますが、ソ連で最初に出版された詩集"Нерв"(「神経」という意味です)について、もう少し詳しく紹介したいと思います。
発行所はСовременник(ソヴレメンニク)。「同時代人」という意味です。
発行年は1981年。ヴィソーツキイの亡くなった翌年です。組版完了が1981年9月16日、印刷許可は同年9月10日。オフセット印刷。
サイズは、手元の100円ショップ物差しで測ると、縦約16.5センチ、横11センチ弱、厚さは1.5センチ程度です。紙はアート紙、紙質は良く、ポケットサイズの割には重量感があります。
発行部数は55,000部。2回に分けて刊行されました(1-25,000、25,001-55,000)。5万部を超えた、というと何だかちょっとしたベストセラーのように感じますが、ソ連は計画経済の国、本の発行部数まであらかじめ決まっていました。よって、どれだけ売れようが、よっぽどのことがない限り再版はされず、売り切れればそれでおしまい、でした。レーニンやマルクスの著書は腐るほど印刷されていたことを思えば、5万部程度はかなり少ない方だと言っていいでしょう。現に、ほぼ同じころ刊行されたロシアの国民詩人プーシキンの2巻本は、その詩はすでに様々な形で刊行されていたにもかかわらず、発行部数100万部というとてつもない数のものでした。
定価1ルーブリ40カペイカ。今井博さんの『モスクワの市民生活』(講談社文庫)によれば、この頃は1ルーブリ=約300円だったとのこと。
ページ数は、奥付によると、237ページ。それ以外に奥付3ページ。3ページから14ページが、編者の詩人ロベルト・ロジェーストヴェンスキイ(1932-94)による序文(「編者より」)。15ページから229ページまでが本文、230ページから232ページが各詩の簡単な注(すべての詩に注がつけられているわけではありません)、233ページが作者についての簡単な紹介、234ページから237ページが目次、となっています。そして3ページの奥付。奥付に上記の紙質だの発行部数だのといったあらゆるデータが書いてあります。ソ連の本は便利です。
なお、余談ながら、編者のロジェーストヴェンスキイは、1986年に「ソ連作家同盟付属V・S・ヴィソーツキイ文学遺産に関する委員会」が組織された際に、その代表になった人物です。
連作を一編として数えると、詩は全部で123編。連作一つ一つを別個に数えると、数は129編になります。生前いくつかの印刷物で発表できた詩を中心に選ばれているようです。残念ながら、「狼狩り」Охота на волковは選から漏れました。ただし、その続編である「ヘリコプターからの狩り」Где вы, волки?(Охота с вертолетов)(5巻選集によるタイトル);Конец "Охоты на волков", или Охота с вертолетов(2巻選集による)は、"Баллада о волчьей гибели"のタイトルで収録されました。
第2版
第2版は1982年に刊行。表表紙の刊行年の違いを除けば、表紙、裏表紙ともにデザイン上の変更はなし。紙質、印刷、サイズも同じ。定価も同じ、1ルーブリ40カペイカ。
しかし、その中身は、単なる初版の増刷ではなく、いろいろ手が入っています。具体的に見ていきましょう。
まず、ロジェーストヴェンスキイの「編者より」(3-14ページ)が、初版では斜字体だったのが、本文と同じ書体に改められています。逆に、冒頭の詩"Песня певца у микрофона"(15-16ページ)が斜字体になっています。
本文(15-230ページ)では、複数の詩のタイトルが改められ、一部は順序が変わっています。初版では連作となっていた詩のほとんどが単独扱いとされ、連作は"Честь шахматной короны"("Подготовка", "Игра")のみとなっています。詩そのものの内容も、かなりの数のものが再編集され、現在刊行されている詩集に収められている形に近いものとなっています。また、ページ数の関係からか、初版の最後から2番目の詩"Чту Фауста ли, Долиана Грея ли..."が、第2版ではカットされています。
巻末の注(231-234ページ)が初版より詳しくなり、筆者の名前(A. E. クルィローフ)が入りました。
作者についての簡単な紹介(235ページ)は初版と変わらず。236ページから239ページが目次です。
その他のデータは以下の通り。1982年7月21日組版完了、同年7月20日印刷許可。発行部数50,000部。初版より5,000部少なくなっています。総ページ数239ページ、他に奥付1ページ。組版完了1982年7月21日、印刷許可は同年7月20日。
第3版
第3版は、ゴルバチョフ時代の1988年と1989年に刊行されました。内容は第2版と全く同じです。紺の方が1988年版、赤系の方が1989年版。
ページ数は第2版と同じ。
作りはだいぶ変わり、ハードカバーで外面は良くなったのですが、紙質はオフセット紙にランクダウン?しています。
発行部数は、1988年版が20万部、25,000部ずつ8回に分けて刊行。1989年版は50,000部で2回に分けて印刷されています。
1988年版の組版完了は1987年12月30日、印刷許可は1988年1月25日、ヴィソーツキイの生誕50周年の日に当たります。89年版は88年版のスライドを使ったらしく組版はなし、1989年11月29日印刷許可となっております。
定価はともに5ルーブリ。当時1ルーブリ=250円前後だったように記憶しています。89年版はナウカで購入しましたが、5,000円以上しました。
おまけ
"Черное золото". キシニョーフで1990年に刊行された本です。サイズは"Нерв"初版、第2版とほぼ同じ。出版社(発行元?)は Общество друзей книги ССР Молдова им. Василе Александриとか。
この本、詩(より正確には章)の順序や詩のタイトルで使用している活字など一部デザインは違いますが、中身は"Нерв"第2版そのもの。ただし、"Песня певца у микрофона"がなくなっています。
序文は、ロジェーストヴェンスキイから別の人物のものに差し替えられています。
しかし、注、作者についての紹介は、内容をそのままパクっています。
定価3ルーブリ50カペイカ、発行部数不明(奥付のデータがありません)。230ページ。紙質は最も悪く、いかにもペーパーバック、といった感じです。
| 固定リンク
「文化・芸術」カテゴリの記事
- 続・「15万票の第4位」のその後(2009.04.10)
- 番外編・日本で紹介されたロシア・ソ連の歌手・7(2009.02.06)
- ヴィソーツキイ略年譜・追補・2(2008.03.15)
- ヴィソーツキイ略年譜・1(2007.12.14)
- ヴィソーツキイ略年譜・2(2007.12.19)




コメント